「産業まつり」で「お茶壷道中行列」を実施する理由とは??
かつて都留で行われていた茶壷道中を現在、毎年つる産業まつりで「お茶壺道中行列」として再現しています。この「お茶壺道中行列」では、実際に徳川幕府の御用達だったと考えられるお茶を京都に行って引き取ったものを使っていたりととても本格的です。このイベントが実現するまでには実行委員長の岩間さんの長い年月の努力がありました。お茶壺道中行列を長年計画してきた岩間さんのもとへ伺い、イベントができるまでの過程をお話していただきました。
都留にしかないものを探していたらお茶壺道中の歴史にたどり着いた
マヤ:お茶壺道中を始めることになったきっかけを教えていただければと思います。どうして茶壷道中を再現しようと思ったのですか?
岩間さん:30年ほど前、全国では町おこしが盛んに行われていました。その頃、商工会青年部に所属していて、各地の催しを見学する機会に恵まれました。しかし、その多くは流行りを真似するもので、地域の特徴を表現するものは少なかったです。「何か、都留だけのものをまちづくりの核にしたい」という思いが、お茶壷道中行列を始めるきっかけとなりました。
マヤ:どうやって「茶壷道中」という要素にたどり着いたのですか?
岩間さん:文化事業を手掛ける知人に、「都留だけにしかないものはないかな」と話をすると、勝山城にお茶蔵があって徳川将軍のお茶を保管していて、全国に一つだけの存在、と教えてもらい、求めている素材にピッタリな話だと思いました。早速、地元友人5名と県外者2名で勉強会を始めました。地元郷土史研究会では「お茶蔵」は周知でしたが、一般市民の多くは知らないことでした。これまで地道な調査研究を続けておられる地元郷土史研究家にイベント素材として「お茶壷道中」を取り上げることを相談すると「思い切ってやってごらん」と背中を押してくれました。
マヤ:勉強会を開いてからイベントを形にするまでどのように動いたのですか?
岩間さん:現場に赴くフィールドワークをたくさん行いたいけれど、それにはコストがかかります。そこで都留市に相談してみることに。当時の市長からの勧めで市民委員会に応募すると、予算を獲得することができました。その後京都などに赴き報告書を作成し、市民向けのシンポジウムを開くことを目標に動き始めました。
お茶壷道中行列のイベントの第一回目は単独のイベントでした。その後、好評だったため、つる産業まつりで披露しないかと声がかかり、それからは毎年つる産業祭りで行列を再現しています。
お茶壺道中行列の再現は京都に行くところまで?!
マヤ:実行委員の活動ではどんなことをしているのですか?
岩間さん:お茶壷道中の事業計画は1年単位です。まず、春先に採茶使の公募から始まり、採茶使を団長とした、お茶壷道中ツアーで京都の宇治に訪問します。秋に開催される、産業まつりでお茶壷道中行列と茶席を開催して終わります。この間、長野県の奈良井宿での宿場祭に参加して、行列と茶席を展開し、依頼があれば行列の出演、取材などに対応しています。
マヤ:京都にまで行くんですか?!
岩間さん:市民委員会への報告書作成時にお世話になったことから、京都をはじめとした各地にチャンネルができています。例えば、綾鷹で有名な上林春松さんなどとコンタクトを取らせていただき、いろんな貴重なお話を聞くことができています。京都の方々は、「都留ってすごいね」と都留市の歴史を知っていただいているのを知り驚きました。市民はこんなに素敵ことを今まで知らなかったんだということを実感しました。だからこそ、市民向けのイベントが必要だと確信しました。
今でもそのつながりは継続していて、毎年市民向けに京都へのツアーを開いています。
マヤ:それ今度私も行きたいです!! お茶とお茶壺道中のルーツを巡る京都ツアーについて詳しく聞かせてください!とても気になります!
岩間さん:ツアーのメインプログラムとして、上林春松のお茶を未公開の上林春松家の茶室で、厳かに茶壷の受け渡しの行事を行っています。5月〜7月の間に行われる京都の1泊2日のツアーとなっていて、市民の約45名が参加でき、バスで移動します。建仁寺の管長が、未公開の大広間でお茶会を開いてくれるなど、特別なイベントがあったりして、予算もリーズナブルで、毎年大人気でリピーターも続出するほど。コロナで一時中断したものの、今後も計画していきます。
あの「綾鷹」を生み出した京都の上林春松家が手がけて再現 熟成茶「瑞鶴」
マヤ:毎年お茶壷道中行列では、茶壷道中で運ばれていた茶葉を再現した「瑞鶴」を予約制で販売していると聞きました。これはどのように作られているのでしょう?
岩間さん:平成12年に再現されたお茶壷道中行列の関係者から、「将軍が飲んだ極上のお茶を飲んでみたい」と要望がありました。実際に江戸時代の幕府御用茶師であった上林春松家14代当主に熟成茶試作をお願いしました。平成14年に試作品が完成し商品化も可能となり、都留市では茶名公募をしたところ、全国から1500通の応募から「瑞鶴」が選ばれました。瑞鶴は当初、お茶壷道中ツアーで宇治から都留に運び込まれた茶壷を、ミュージアム都留の保管庫で秋口まで熟成し、再度上林家に戻し、抹茶に仕上げていました。現在では、一貫して上林家で仕上げていただいています。
マヤ:すごく本格的だ!!
お茶壺道中行列の再現を楽しむ中で、地元の歴史に誇りを持ってもらえたら
マヤ:岩間さんがお茶壷道中行列のイベントを運営する上でさまざまな繋がりを繋いできたことが伺えます。最近で印象深かった出会いなどありますか?
岩間さん:長野県の塩尻の奈良井でも、毎年6月第一週目の日曜日(令和5年からは土曜日に変更)にお茶壺道中を模した行列をやっているのですが、同じお茶壺道中で宿場町として活性化に活用している奈良井の方から声がかかり、平成14年から都留から奈良井のお茶壷道中のイベントに協力しています。
そこには都留文科大学の学生をよく派遣して、瑞鶴を披露する茶席を開催し、多くの観光客に瑞鶴を味わっていただいています。また、文大の吹奏楽部がお茶壺道中の衣装で路上パフォーマンスをして、その意外性に大きな反響がありました。違う地域で同じ行事を継承しようとしている人々に出会えたことや繋がりが生まれたこと、この運営を続けて出会えた都留文科大学の学生にも楽しんでもらえたようで嬉しかったです。
マヤ:これからお茶壷道中行列をどのように続けていきたいですか?
岩間さん:桂林寺本堂でのお茶壷道中にちなんだ「ずいずいずっころばし」の吹奏楽部によるパフォーマンスも行うなど、都留文科大学の学生の協力がお茶壷道中行列においてはとても大切な要素になっています。中には卒業しても連絡をくれる学生がいることはとても嬉しいことです。卒業生が都留を思い出し、産業まつりに遊びに来てくれたり、手伝いに来てくれたりするととても嬉しい。大学を卒業しても、学生にとっての第二の故郷のように思えるような都留にしたいという思いがあります。
現在の行列編成は、市民、各団体からの参加もありますが、大学生の協力がとても大きくなにより大学生がやると若々しく、厳かな雰囲気も出るため重要な戦力です。ですが、今後は小中高校生にも楽しんでもらう仕掛けを作っていきたいと考えています。小さい頃からお茶壷道中の歴史に触れる中で自分の住んでいる街の歴史について知ってもらえるといいなと思います。
西暦2000年という記念すべき年に第1回を開催し、23年経過しました。今後、瑞鶴の販売は商工会に協力を求め、瑞鶴の商品構成は市内陶芸家作成によるミニ茶壷に収めた商品化を考えています。市内小学生にお茶を介して地元の歴史に触れる機会を計画しています。SNSを用いた情報発信を積極的に行い、皆さんにお茶蔵の存在を知ってもらうことを、ライフワークとしてこれからも続けていきたいと思います。是非、興味のある方、一緒にやりましょう。