城下町発掘ニュース特集 ②

お祭りは大切なコミュニケーションツール
屋台を通して世代間交流を!

Written byのり

八朔祭屋台保存会連合会
令和6年度会長:外川英敏さん

都留市最大のお祭り「ふるさと時代祭り」。第40回という節目を迎える今年は、宵祭りが8月31日(土)、本祭りが9月1日(日)に開催されます。
 そこで今回は、お祭りで巡行する豪華絢爛な屋台に注目。仲町、下町、新町、早馬町の4町にある八朔祭屋台保存会連合会の令和6年度会長を務められている早馬町の保存会会長・外川さんにお話を伺いました。屋台の見所や、知られざる苦労、屋台が生み出す人と人との繋がり……。
これを読めば、なんとなく眺めていた八朔祭屋台の見方が変わるかも?!
※過去のお祭りの様子は都留市観光協会公式YouTubeでご覧になれます※

◆八朔祭(はっさくまつり)◆
 都留市四日市場にある生出(おいで)神社の例祭で、江戸時代から、五穀豊穣を願い、旧暦の8月朔日(ついたち)=八朔(はっさく)、現在の9月1日に行われてきた。大名行列や屋台の巡行は、八朔祭の「付祭(つけまつり)」として行われる。はじまった年代は不明だが、天保年間(1830~40)の古文書には、「往古(おうこ)より供奉巡行(ぐぶじゅんこう)」と記されており、それ以前から大名行列などが行われていたとされる。
今では、神事である八朔祭と、メイン会場で行われる「ふるさと芸能」をまとめて「ふるさと時代祭り~八朔祭~」となり(地元では「おはっさく」とも)、市内最大のお祭りとして多くの人が訪れる。

◆外川英敏(とがわ・ひでとし)さん◆
 都留市出身・在住、72歳。生まれは高尾町で、30代の頃に早馬町へ。ふるさと時代祭りには幼少期から家族全員で毎年参加。早馬町八朔屋台保存会の会長を務めること8年。今年は4町全体で構成される八朔祭屋台保存会連合会の会長も兼任している。

競い合って作られた豪華絢爛な屋台

競い合って作られた豪華絢爛な屋台 ふるさと時代祭りの見所の1つでもある、豪華な屋台。祭りに参加するそれぞれの町が、豪華さを競い合って作り、五穀豊穣を願ったと言われています。詳しいことは分かっていませんが、屋台巡行は江戸時代から始まったとされ、昭和の初めごろまで続きました。その後、一時途絶えていたものの、平成に入って復元・再現され、現在は、仲町、下町、新町、早馬町の4町の屋台が巡行しています。

 取材日は、国道139号沿いにある八朔祭屋台展示庫に出掛けました。ここでは、仲町、下町、早馬町の3町の屋台が展示されています(飾り幕は除く)。

のり:そのうち早馬町の屋台保存会会長の外川さん。復元された屋台について教えてください。

一番最初に復元されたのがうちの町(早馬町)で、平成元年。当時自分の父が会長だったのですが、何人もの人が集まって、町おこしのために復元しようという話になりました。

 早馬町の中にお寺が一つあって、そこの縁の下かな、そこに解体した屋台が保管されていたんです。それを出すと、復元するのが不可能と思えるくらいに腐敗が進んでいたのですが、宮大工さんに相談すると「何とかできるかもしれない」ということで。使えなかったところもありますが、6~7割くらいは昔のままの木材が使われています。

のり:昭和の初めごろまで使われていたものが、今もそのまま?

そうですね、古くからずっと保管されていたものを。中には、江戸時代の木材をそのままという部分もあります(飾り幕を付ける格子状の部分など)。この屋台は、木造で釘をほとんど使っていないんですよ。

 あとの3町、下町、新町、仲町の屋台は、昔のものを使った復元ができず、全部新しくして作られました。

実は、4町の屋台を比べてみると、早馬町だけ高さが1mほど低いんですよ。腐敗が進んでいて使えなかった部品があって、早馬町の屋台は4mくらいで、他の町の屋台は5mくらいなんです。

 上の踊り場(子どもや女性たちがお囃子を演奏するところ)は、早馬町の屋台だと1m70~80cmくらいの高さがあるので、大人一人の上に乗っているくらいの高さなんですが、他はもっと高いです。

 高さだけじゃなくて重さも違って、早馬町は1.5トンくらい。他は2トンくらいあるんじゃないかな。

のり:確かに、よく見てみると、屋台の屋根の部分1つ分くらい高さが違いますね!ちなみに、復元にはどれくらいの費用がかかったのでしょうか?

早馬町の屋台は、その当時の金額で二千数百万円。色々な人や企業から寄付をいただいて。復元する前は、そんなの必要ないという人も中にはいたと思うけど、出来上がってからはみんな顔色が明るくなりました。立派なものだなって。

のり:動いていない屋台そのものだけでも立派ですが、八朔祭当日の見所はどこでしょうか?

お祭りがあって、こういうものがあるっていうことだけでも見てもらいたいんだけど、まずは葛飾北斎の垂れ幕(飾り幕)(参照)

 あとは、女性たちや子どもたち10人ほどが屋台の踊り場で奏でる三味線や太鼓のお囃子。楽器は昔からずっと使われているもので、1カ月以上練習しているので、太鼓の叩き方とかそういうものも見てもらいたいです。お囃子もテレビ番組などで聞きなじみのある曲があると思うので、耳を傾けてみてください。

 それともう一つは、屋台を曳く技。早馬町は、20代~50代の男性20~30人くらいで曳いているんだけど、都留は国道も側道も狭いでしょう?看板も電線も信号もあるし、そこをこれだけのものを引っ張って歩くのは大変。小回りが利かないし、曳くのにすごく気を遣うんですよ。

 真っすぐに曳いているつもりでも、気付けば曲がってしまっているんです。だから、世話人というわけではないけど、男性陣をまとめてくれる先導役がいて、彼がマイクを持って、右に行ったぞ、左に行ったぞと声を掛けてくれる。道を曲がるのだって一苦労ですよ!

知られざる屋台の改善・改良

知られざる屋台の改善・改良 のり:確かに、狭い道でこの大きさのものを方向転換させるのは相当難しいですよね?

そうですね、それも見せ所の1つです。

 早馬町では、屋台の中心に支柱を置いて、そこを支点に「てこの原理」でくるっと回転させる。色々な方法をやってみたけど、このやり方が一番安全で早いんです。前はジャッキを使って上に持ち上げていたけど、屋台の重さに耐えられなくて壊れてしまった。そのときは、さらに雨も降ってきてびしょ濡れになって、とても困りました。

 浅草や京都などのお祭りにも行って、屋台や御神輿の扱い方も見たけど、うちではこのやり方が一番良いと思って続けています。

のり:伝統的なやり方があるのかと思っていましたが、皆さんでより良い方法を探してやっていらっしゃるのですね!他にも何か変えたところはありますか?

今年、雨対策のビニールシートを取り付けようと思って、動いています。去年(2023年)も雨がすごくてびしょ濡れでしたから。
 
早馬町は、屋台の下にビニールシートを乗せていて、雨が降ったら脚立を出して上から被せてきたのですが、とにかく時間がかかる。他の町の屋台の中には、上にビニールシートが乗っていて下に垂らすようにしているところもあるので、そのイメージで。

 雨が降らないことが一番ですが、もし降っても見物のお客さんからちゃんと屋台が見えるように、透明のビニールシートをと思っています。

のり:屋台そのものはどうですか?早馬町の屋台は古い木材が多いとのことですが…

実は、去年は車輪を、今年は土台を取り替えました。

 毎年、お祭り当日に屋台を曳きながら、変な音がするな、ここが傷んでいるななど、悪いところがないか確認しています。気になるところがあれば、岐阜の高山祭の屋台を扱っている宮大工さんを呼んで確認しています。修理する場合は岐阜に持って帰って直してもらい、また都留まで運んでもらうのですが、正直、お金も時間もかなりかかります。

 それでも、昔の人たちが、何十年曳いても耐えられるようなものを残してくれたことは、やっぱり良いことだと思うよね。大事にしていかないと。

屋台・お祭りは大切なコミュニケーションツール!
この先も受け継がれることを願って

屋台・お祭りは大切なコミュニケーションツール! <br>この先も受け継がれることを願って のり:屋台は扱うのも大変、メンテナンスや管理も大変。それでも、大切にしようと考えていらっしゃるのには、何か特別な思いがあるのですか?

自分が小さい頃はお祭りが楽しみで、大人も楽しんでいた。そういうのが頭にあるから、今は世知辛い世の中だと感じるけど、年に一度のことなので、やっぱりお祭りはみんなで楽しく明るくやりたいんです。派手にしようというわけでもないんだけど、昔の人たちはそうやってきたから、それを引き継ぐのが自分の仕事だと思っていて。

 でも、得の面もあるんですよ。屋台でコミュニケーションがとれるから。年を取ってくると、若い人とあまり話をしないんですよね。繋がりがない。接する機会もないし、外に出ようとしないお年寄りもいる。それが、屋台がきっかけで会話ができたり、楽しい思い出が作れたり、若い子たちの顔も分かるようになる。だから、町の人たちには「ぜひ出てきて!」と呼びかけています。

のり:屋台やお祭りがきっかけで人と人との繋がりが生まれる。とても素敵ですね!ただ、ここ数年は、屋台の曳き手が足りないと伺ったのですが……

今、曳き手が少ないんです。町によっては若手が本当に少ない。それで市とも話をして、去年は留学生や高校生を呼んで、一緒に曳いてもらいました。

 昔は、この町の人間じゃないとダメ!と言う人も中にはいたけど、今は違う。この先、曳き手がいないと屋台が出せなくなってしまうから。屋台を出さなくなるとお祭りもやらなくなっちゃうし、一度止めちゃうとなかなかできなくなってしまう。

 曳き手はもちろん、屋台に乗ってお囃子を演奏したいという人も、もしもいらっしゃったら、ぜひ声をかけてください!
(※興味のある方は、つるのルーツ問い合わせフォームまたは 都留市産業課商工観光担当 電話0554-43-1111まで!)

のり:では最後に、八朔祭の屋台が、この先こんな風になってほしいな、など願っていることは何かありますか?

昔は、谷村(都留)が郡内を統治していたでしょう?でも今、お祭りでいうと、吉田の火祭りが圧倒的で。本来なら谷村の方が盛り上がっていても良かったのに。だから、それに負けないように頑張らないとと思っているんですよね。

 代々のことを言っても仕方ないと思うけど、ただ、こういう立派なものがあるから、これだけはとにかく大事に、残していきたいなっていうのはありますね。この屋台があって、町の若い人もお年寄りも、みんなでコミュニケーションを取るっていうのが、一番いい方法なんだと思います。

 今、こういう時代だから、古い考え方では出来ないことが多いんじゃないかな。機械化が進んだ世の中で、そういう若い、新しい子たちが色々なことを考えて、メインでやるようになると、屋台も変わっていく可能性があるよね、時代に沿って。ただ、意気込みだけは、昔のまま、五穀豊穣、町が潤うことを願って一生懸命やろうという気持ちでやってほしいなというのが、僕の願いですね。

<取材後記>

<取材後記> 「子どもの頃は、お八朔のお祭りというと楽しみで楽しみで仕方がなくて、あの法被が着たかったんだよね!」
目を輝かせて、そんな思い出話も聞かせてくださった外川さん。子どもも大人もお年寄りも、町中の人が参加する八朔祭は、年に一度のとっておきの楽しみだったそうです。
 当時と比べると、今はお祭りの参加者も観光客も少なくなり、屋台を続けていくことの難しさを感じながら、それでもこの先に残していきたいと奮闘していらっしゃる姿は、素敵だなと思いました。
 今年のふるさと時代祭りは、より多くの人の笑顔で溢れるよう、願っています。

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