城下町発掘ニュース特集 ②

これぞパワースポット!
都留市の桂林寺(けいりんじ)の魅力とは

Written byのり
都留市のパワースポット・桂林寺の本堂(願いが叶うと伝わる叶が池のある寺)

願いが集まる寺―都留市・桂林寺へ

 2025年も残りわずか。良い一年だった人も、そうでなかった人も、笑顔で新年を迎えるために、“心のパワー”をチャージしませんか?

今回訪ねたのは「願いが叶うパワースポット」として親しまれてきた、都留市金井にある桂林寺です。

地名の「金井(かない)」は、境内にある“願いが叶う池”として伝わる叶が池(かのうがいけ)の「叶う」が由来とされ、桂林寺は今も多くの方がパワーを求めて訪れる場所です。

副住職の織田さんにお話を伺うと、桂林寺は、昔も今も「あらゆるパワー」が自然と集まってくるお寺であることがわかってきました。
―その理由とは?

◆冨春山 桂林寺(ふしゅんざん けいりんじ)◆
 創建は1393年(明徳4年、室町時代)と伝わります。当時の郡内領主・ 小山田氏が、鎌倉・建長寺に在住していた格智禅師(かくちぜんじ)の教えに深く帰依し、開山しました。小山田家の断絶と荒廃のあとに安山宗泰和尚の活躍により再建されました。現在は臨済宗妙心寺派に属しています。

◆織田 宗泰(おだ そうたい)さん(45)◆
 桂林寺副住職。都留で生まれ育ち、県外の大学・お寺で修業した後、再び都留へ。父で住職の宗覺さん(77)が17代目。宗泰さんは18代目の見込みです。
※ 過去の火災で資料が焼失しているため、代数は不確かで、本来は30代目前後の可能性もあるとのこと。

パワー大集合|神様も仏様も寄り添う「桂林寺の核心」

■ 叶が池(かのうがいけ)と地名の由来

のり:さっそくですが、桂林寺がパワースポットであるいわれを詳しく教えてください。

織田さん:創建当時から「叶が池(かのうがいけ)」という本堂左手奥の小さな池には、雨乞いの際に龍が現れ雨を降らせたという伝承があります。そこから「願いを叶えてくれる池」ということで、「叶が池」と呼ばれるようになりました。



のり:その「叶が池」が、地名の「金井(かない)」の由来になったそうですね。

織田さん:そうですね。もともとここは、隣の「中津森(なかつもり)」という地域の一部だったんです。中津森の中でこの辺だけ「叶が池」からとって「金井」という地名を付けたと言われています。池の名から地名が生まれるのは珍しいそうです。

■ 財運・縁結びの弁財天、勝負運の八幡宮

のり:さらに、叶が池のすぐそばに、財を成すといわれる「弁財天」がまつられていますよね。

織田さん:はい。これも伝説なのですが、このお寺のルーツが鎌倉にあるということで、桂林寺が建立されたときに江の島にある江島神社を分けて、守り神として弁財天を祀りました。叶が池は江の島の海とつながっているとも言われています。最近では、金運だけではなく、縁結びの神様として参拝される方も増えているんですよ。



■ ご本尊・薬師如来
桂林寺のご本尊は、病気平癒のご利益があるとされる薬師如来。
願い、縁、勝負、健康—多様なご利益が集まるお寺として今も篤い信仰を集めています。
しかし、なぜこれほど多くの神仏が一つの寺に集まったのでしょうか。
その背景には、桂林寺が歩んできた “土地と歴史の深い物語” がありました。

歴史に残る偉人たちのパワー|開かれ、守られ、受け継がれてきた桂林寺

のり:桂林寺には、何人もの偉人たちも足を運んだと聞きました。特に、郡内領主だった小山田氏とは深い関係があるということですが・・・

織田さん:小山田家は、もともと現在の東京・町田の出と言われていますが、郡内に来て「中津森館」と呼ばれるお屋敷(お城)を構えました。桂林寺は、そのお屋敷と向かい合う形で創建された、小山田氏の初期の菩提寺です。お城を守る意味合いもあったのではないかと考えられます。

ちなみに、そのお屋敷のお堀の跡が、今も桂林寺の参道を下った途中に残されています。

興味深いのは、場所的にお屋敷よりもお寺の方が高い位置にある点です。一般的に、お城と菩提寺の門番所は同じ高さに作られ、見通しが良くなっていることが多いんです。こうした一般的な配置と比べると、この位置関係には何か意味があったのではないか、と地元でも考察されています。記録が残っていないため推測の域を出ませんが、中には「今お寺がある場所がお城だったのではないか」と言う人もいます。

のり:小山田氏の菩提寺は、市内には他にもあると思うのですが・・・

織田さん:そうですね。その中でも、ここは小山田家の初期、一番最初に建てられた菩提寺で、小山田家代々のお墓が本堂の脇にあるんですよ。



のり:小山田氏のお寺ということは、小山田氏が権力を失うと、お寺の権力と言いますか、地位も下がってしまったのではないですか?

織田さん:都留では、小山田家=武田の裏切り者というイメージが語られることもありますが、実はそれは江戸時代後期に物語として脚色されたものと言われています。
だから、今でも小山田家を大事にしている人もいますし、そこで格式が落ちたということではありません。むしろ、このお寺が一番栄えていたのは、江戸時代なんです。

 その頃、ここの6代目〜10代目の住職が、日本の臨済宗を大きく発展させた江戸時代の名僧、白隠禅師(はくいんぜんじ)と深い関わりがあったことから、弟子や信者さんが大勢集まり、桂林寺は全国に名をとどろかせていたそうです。
 さらに、小山田氏以降の領主・鳥居氏秋元氏からも、手厚い保護を受け、寄進もされていました。江戸時代の本堂の広さは、今の本堂の3倍以上あったそうです。残念ながら、隆盛期の資料や寺宝の多くは、明治時代の廃仏毀釈の火災で焼失してしまいましたが、その名残は今も残っています。

■ 歴史が育んだ土地と、今に残る“生命の力”
こうして武将や名僧たちの信仰と寄進によって守られてきた桂林寺は、長い年月をかけてこの土地そのものが大切にされ続けてきた場所でもあります。
そのため境内には、今も豊かな自然が息づき、生きものたちが集まってくる“生命のパワースポット”としての姿が残っています。

自然のパワー|生きものが集まる寺

長い歴史の中で大切に守られてきた桂林寺の境内には、“自然の力”も豊かに息づいています。
池や木々、静かな境内には、季節ごとにさまざまな生きものたちが集まり、訪れる人の心を和ませてくれます。
その象徴のひとつが、本堂裏の池で暮らす金色の鯉です。
生きものたちがこの地に根づいている背景について、織田さんに伺いました。

のり:金色の鯉について教えてください。これは意図的に飼育しているのですか?

織田さん:本堂の裏の池に金色の鯉が2匹いるのですが、この金色の鯉を『金運アップ』と受け取る方もいらっしゃいますね。
あの池には私が小さな頃から真鯉がいたのですが、いなくなってしまった時期があったんです。するとザリガニが増えてしまい、「やはり鯉が必要だ」ということで、数匹の小さな鯉を放流しました。鷺に食べられてしまったものもいて、現在残っているのが、あの金色の鯉の2匹というわけです。



のり:この池は、毎年梅雨の時期にスイレンの花が咲くことでも有名ですよね。

織田さん:はい。約40年前に、檀家さんが一株持ってきてくださって、それを植えたところ広がっていったんです。多い日には50輪前後咲きますよ。実は、スイレンの葉も一度、鹿に食べられてしまったことがありまして。豊かな自然の中で、動物たちとの共存も工夫しながら続けています。

ちょっと困ったお客さんまでもが集まってきてしまうのは、お寺の中にも周りにも、豊かな自然があるからこそ、かもしれませんね。



織田さん:そうですね。叶が池の方には、春先になると、周りの山から約100匹のカエルが産卵に来るのですが、一部の地域で天然記念物に指定されているモリアオガエルもたまに来るんですよ。梅雨どきには、カエルの大合唱が境内に響きます。

■ 自然とともに、時代も変わりゆく
桂林寺には、昔から守られてきた自然の恵みと、生きものたちの気配が今も穏やかに息づいています。 一方で、時代とともにお寺を取り巻く状況は少しずつ変わり始めています。

寺離れに立ち向かえ!奮闘中の副住職|パワーの源は「地域の人たちの笑顔」

桂林寺は、歴史の中で受け継がれてきた多くのご縁によって守られてきましたが、現代ではお寺を取り巻く状況も大きく変わりつつあります。そんな中で、織田さんがどのように“今の時代の桂林寺”を作り続けているのか、お話を伺いました。

のり:織田さんは、子どもの頃から桂林寺を見てきているわけですが、ここ最近のお寺の状況はいかがですか?

織田さん:私が子どもの頃と比べても、今は全然違います。特にコロナ禍を経て加速したのですが、葬儀も法事も、本当に簡略化、縮小傾向にあります。ただ、これだけは言えるのは、皆さんが家族やご先祖様を思う気持ち自体は昔とさほど変わっていません。
 あとは、どこのお寺も同じだと思うのですが、やはり「寺離れ」ですよね。人口もどんどん減ってきますし。さらに、お寺=ハードルが高いという感覚が、皆さんの中に浸透しちゃっている。お寺って、本来は誰でも上がって良い開かれた場所なんですよ。だから、多くの人に来てもらえるように、時代に合うことを取り入れたり、参加しやすいイベントを開いたりしています。



のり:例えばどんなことを始められたのですか?

織田さん:例えば、春に桜や桃の花が咲くのに合わせて「お花見マルシェ」を開催したり、都留市の事業「いーばしょ」の一環として本堂をヨガ教室として開放したりしています。

のり:そうした催しの中では、桂林寺の持つ伝承を活かした工夫もされているそうですね。

織田さん:はい。水に溶ける白い紙に願いを書き、叶が池に浮かべていただけるようにしています。これは、伝承を身近に感じていただくための小さな工夫です。

のり:記憶に残りやすいですし、ちょっとしたイベント感もあってワクワクしますね。

織田さん:そうなんです。伝説では”祈祷の際、和尚が池にお酒を撒き、棒でかき回すと龍が現れた”ということだったので、池に紙を浮かべていただいたときは私が棒で池をかき回しています。



のり:歴史の長いお寺ですから、新しいことを始める際、中には反対意見もあったのではないですか?

織田さん:ありましたね。特に、現住職の父にはよく反対されましたが、最近では諦めてくれていて(笑) 
 
5年ほど前から始めた樹木葬は、構想から説得まで約3年かかりました。従来の土葬に代わり、現在は火葬して納骨するのが一般的ですよね。

 実は、お墓には骨を土に還すための場所があり、そこから土へ戻っていきます。近年の火葬炉、特に都市部では火葬時間を短縮するため高温で火葬する傾向があります。結果としてお骨はセラミック状になり、陶器と近い性状になります。そのため、遺跡から古い陶器が出土することからもわかるように、土に還るまでには膨大な年月を要します。

樹木葬を始めた理由は、「遺骨が自然へ還れる形を残したい」という思いからでした。

 そんなに遠い先の未来まで同じ場所にお墓があるとは限りませんよね。
私自身は土に還りたいと考えていますし、こうした思いにはニーズがあると思って始めました。

のり:時には反対意見を押し切ってでも頑張れる”原動力”って、何ですか?

織田さん:皆さんが喜んでくれる顔を見ると、疲れも吹っ飛びますね。自分自身も楽しいですし。

 例えば、約10年前から、節分の時期に、鬼になって法要や豆まきをして、市内を練り歩いたり、飲食店や幼稚園、デイサービスなどを訪問したりしているのですが、毎年大勢の方が楽しみにしてくださっています。告知のために市内の店舗にポスターを配るのですが、お店の方が「このポスターを届けてもらうのが楽しみ」「これが魔除けです」と言ってくださる方もいて、地域の皆さんの温かさに励まされています。

のり:地域の人たちの笑顔が、織田さんのパワーになっているのですね。

織田さん:そうですね。どの地域にもお寺ってあるじゃないですか。お寺は、その地域の核になる場所だと思うんですね。なので、寺離れと言われていますが、やっぱりお寺に親しんでいただきたい。本当に気兼ねなく、日常のお話をしに来るだけでも、世間話をしに立ち寄るだけでも構いません。地域の人が「気軽に訪ねられる場所」を目指しています。

<取材後記>

語り口調が柔らかく、声も心地よい。こちらの話にも丁寧に耳を傾けてくださる織田さん。人も、動物も、まるで引き寄せられるように集まってくるのも納得です。

 桂林寺の公式サイトでは、小山田氏との歴史や、お寺の見どころなどを詳しく紹介しています。ぜひご覧になってみてください。

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