都留の優しさ探訪

金毘羅神社を訪ねて ― 大名行列の歴史から、秋のお茶壺道中へ

Written byかずっち
金毘羅神社の赤い鳥居と緑に囲まれた境内

〜金毘羅神社〜

山梨県都留市上谷にある金毘羅神社。境内の入口には「八朔祭礼 大名行列発祥之地」と刻まれた石碑が立っています。
また、秋には、お茶壺道中の再現行事に合わせて金毘羅神社で「出立の儀」も行われています。

大名行列とお茶壺道中、二つの行列にそれぞれ異なる形で関わる金毘羅神社。その歩みや地域とのつながりについて、宮司の金子さんにお話を伺いました。

1|石碑が伝える、下天神町の大名行列



境内の入口で目にした「大名行列発祥之地」の石碑。その側面には、下天神町が八朔祭の付祭りとして大名行列を繰り出し、江戸時代から受け継いできたことが刻まれています。



行列の由緒を後世に伝えようと、下天神町大名行列保存会が2001年に建てた碑です。金子さんによると、碑を建てる場所が見つからず、神社の敷地を使うことになったそうです。

下天神町で行列が始まった背景には、かつて谷村を治めた秋元喬知(あきもとたかとも)にまつわる話があります。秋元氏が川越へ移る際、下天神町にいた家臣に行列の衣装や道具を残したと伝えられています。これらの道具を使い、八朔祭で大名行列が行われるようになったといいます。
▶︎下天神町の大名行列の歴史を詳しく読む

大名行列にまつわる話は、金子家にも残っています。かつて医業を営んでいた先祖が、往診の際に使っていた駕籠を行列に貸し出していたというものです。残念ながら、その駕籠は残っていないそうですが、古くから続く大名行列の歴史と行列に関わる町の人々の繋がりが伝わってきます。

金子さん自身も、長年にわたり地域住民として赤熊(しゃぐま)を務め、大名行列に参加していました。現在も練習に足を運び、指導に関わっているそうです。

2|金毘羅神社を支えてきた人々

金毘羅神社にまつられているのは、大物主命と崇徳天皇。『都留市社記 谷村地区』には、武田信玄が金毘羅神の分霊を授けたことが、神社の由来として記されています。その後、勝山八幡神社の背後や金毘羅山を経て、現在の場所に移されたといいます。

金子さんは、神職を継いで19代目。かつては山中にあった神社は、火災で社殿や御神体が失われてしまい、近隣の金毘羅社から分霊を受けて、現在の場所に移転したと話してくださいました。

神社を移す際には、寄付が寄せられたといいます。神社に残る寄付帳には、千人を超える人の名前が記されており、多くの人々に支えられていたことがうかがえます。金子さんによると、地元だけでなく、分霊を受けた先の地域からの寄付も記録されているそうです。



金毘羅神社を支えているのは、神社を敬い、信仰する「崇敬者」です。決まった氏子の区域はなく、毎朝参拝する人や、夕方に訪れる人がいます。

金子さんも毎朝、神前で祝詞をあげています。取材の際にも、その祝詞を聞かせてくださいました。込められているのは、地域の人々が病気や事故なく過ごし、日々の仕事に励み、暮らしが栄えていくことへの願いです。近年は、世界で起きる争いや災いが鎮まりますように、という祝詞も加え、お祈りを捧げているそうです。



人々の無事を願う祈りは、季節ごとの祭りや神事にも込められています。金毘羅神社では、一年を通して、春と秋の例祭のほか、節分の豆まきや、6月の夏越の大祓なども行われています。夏越の大祓では大きな茅の輪が設けられ、参拝者が輪をくぐります。朝夕の参拝だけでなく、こうした季節の行事にも、人々が神社を訪れています。

金毘羅神社では、祭りの日も、普段の朝も、人々の無事を願う祈りを捧げ続けています。



3|金毘羅神社の月替わり御朱印

金毘羅神社では、季節に合わせて絵柄が変わる、月替わりの御朱印が用意されています。



以前は金子さん自身が作っていましたが、現在は息子さんの奥さまがデザインを手がけ、季節の絵柄を取り入れた御朱印を、あらかじめ紙に仕上げる「書き置き」として用意しています。金子さんにとって、御朱印といえば白い紙に墨で書くものというイメージがあったそうです。色や絵柄を使って毎月違った姿に仕上がる御朱印を、ぜひ見てもらいたいと話してくださいました。



こうした御朱印を求めて、県外から訪れる人もいるといいます。金子さんは、訪れた人が御朱印をいただきに来たと知り、驚いたそうです。

御朱印をいただいた参拝者の声は、民間会社や有志で運営されている寺社仏閣の情報サイトにも寄せられています。地元の人に教わって訪れたという記録や、御朱印を受け取った喜びをつづった感想、紅葉の絵柄の御朱印の紹介もあります。投稿からは、お参りとともに、季節ごとの絵柄を楽しむ様子がうかがえます。

また、季節の楽しみは、境内にもあります。春にはおよそ10本の桜が少しずつ時期をずらして咲くため、長めに花を楽しめるそうです。秋には紅葉も見られます。

その月の御朱印をいただき、境内の花や木々にも目を向ける。季節を変えて、金毘羅神社を訪れてみるのもよさそうです。

4|お茶壺道中の「出立の儀」

大名行列にゆかりのある金毘羅神社は、秋の「お茶壺道中行列」にも関わっています。江戸時代に徳川将軍家の御用茶を京都から江戸へ運んだお茶壺道中を再現する行列です。

江戸時代、抹茶の元となる「てん茶」の栽培が宇治のみに制限され、全国の大名がお茶の買い付けのため、茶壺道中を行っていました。徳川将軍家の御用茶を運ぶ行列は、中山道で江戸に戻る途中、甲州街道を外れ、つる・谷村の勝山城へと向かいました。夏の暑さや湿気からお茶を守るため、勝山城の茶壺蔵で秋まで保管して熟成させ、その後、将軍家のもとへ届けていたといいます。都留は、徳川将軍家のお茶を運ぶ道中で、大切な役割を担っていました。
▶︎お茶壺道中と都留の関わりを詳しく読む

この歴史をまちづくりに生かそうと始まったのが、現在のお茶壺道中行列です。市民有志が、地元での勉強会や宇治などでの調査を重ね、2000年に初めて行列を再現しました。その後、つる産業まつりでも披露されるようになり、都留の秋の行事として続けられてきました。
▶︎お茶壺道中行列が始まった経緯を詳しく読む

行列の巡行に先立ち、金毘羅神社で行われるのが「出立の儀」です。金子さんによると、以前は別の場所で出発式を行っていましたが、出発にあたって正式な神事を行いたいという思いから、神社で執り行うようになったそうです。



出立の儀では、関係者が茶壺を神前に供え、金子さんが道中の安全と、その後に開かれるお茶会などのにぎわいを祈ります。祈りを捧げてから、行列は金毘羅神社を出発します。

金毘羅神社は、大名行列の歴史を伝え、お茶壺道中の出立を祈る場所でもあります。金子さんのお話を通して、都留の行事が、身近な神社や地域の人々と結びつきながら続いていることが伝わってきました。

おわりに

金子さんのお話から伝わってきたのは、地域の人々に支えられてきた金毘羅神社の歩みでした。毎朝の祝詞や季節の神事には、地域の人々が無事に暮らしていけるようにという願いが込められています。

金毘羅神社を訪れたら、入口の石碑の側面に刻まれた碑文にも目を向けてみてください。そこには、下天神町の人々が受け継いできた大名行列の歴史が記されています。

行列や神社にまつわるお話を思い返しながら境内を歩き、月替わりの御朱印や境内の風景も楽しんでみてください。お茶壺道中が行われる秋はもちろん、桜が咲く春にも、金毘羅神社を訪ねてみてはいかがでしょうか。

そして、金毘羅神社にゆかりのあるお茶壺道中行列を実際に見られる「つる産業まつり」は、10月25日(日)に開催予定です。将軍家のお茶を運んだ歴史を今に伝える行列を、ぜひご覧ください。

行列の経路やスケジュールは、つる産業まつり公式サイトをご確認ください。

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