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コスパ良しが、江戸で大ブレイク!
都留発祥「郡内織物」のルーツとは?

Written byはーちゃん

大量生産を実現!!都留の織物産業を発展させた大名、秋元氏

 古くから都留は織物が作られてきました。そもそもこの頃は現代の私たちのように貨幣経済ではなく、農民から年貢で納めさせるお米がどれだけ取れるかが重要視されていました。

 郡内は山間の土地が多く稲作に適していなかったため、他のものでお金を稼ぐ必要がありました。そこで秋元氏は上州(群馬県)から絹機(きぬばた)を導入したり、農民に上質な絹糸を大量に生産できる養蚕を勧めました。それまでの郡内の織物は山繭で作られていたため、上質なものはできなかったのです。秋元氏は郡内織の効率と品質を高め、経済を活性化させました。

 また、自分の家臣団に内職で織物を織ることを勧めました。この家臣団たちの織物の技術が優れており、家臣団の技術が農民に伝わったことも、織物産業が発達した一因だと言われています。

その人気ぶりは、越後屋(三越)の支店ができるほど!

 秋元氏のプロデュースのもと生産された郡内織は江戸でとても売れる商品となり越後屋(現在の三越)の買い付け支店ができるほどでした。他にも大丸屋、白木屋といった江戸からの大商店の商人が出入りし、経済成長も著しく発展していきました。

人気の理由は「コスパのよさ」。安くて質が良いと庶民の間で人気でした。主に、「羽裏」といい袷羽織の裏地や「夜具地」という布団の布地に使われていました。江戸時代中期には、江戸、京都、大阪などの大都市までに広まりました。

偉人も御用達!大ヒット商品!!機能性の「郡内平」とデザインの「郡内縞」

偉人も御用達!大ヒット商品!!機能性の「郡内平」とデザインの「郡内縞」  郡内織のヒット商品の中に、「郡内平」があります。郡内平とは、夏用の袴に使われた生地で、通気性がよく評判でした。この郡内平の生産は秋元氏が家臣へ内職として勧めたことがきっかけだと言われています。

 もう一つのヒット商品に「郡内縞」と呼ばれる縦縞の柄があります。コスパのよさに加えて、おしゃれなことからも人気を集めました。井原西鶴の『好色一代男』や夏目漱石の『虞美人草』にも郡内織は登場し、その流行っぷりが伺えます。

 その他、時代劇の団子屋の娘…というとイメージに浮かぶ黄色い格子柄も郡内織と言われており、12代将軍徳川家慶埋葬の際、遺体を安置した布団の生地も郡内織でした。

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