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山梨は甲府と都留の二大都市だった!?
郡内と国中という言葉のルーツ

Written byなつみ

江戸時代、甲斐国は甲府藩(国中)と谷村藩(郡内)からできていた!

約1300年前、今の山梨県全体を指して「甲斐国(かいのくに)」という呼び名が用いられていました。
1582年に武田氏が滅亡すると、甲斐国は織田・豊臣・徳川と支配が移り、
江戸幕府の下で甲府藩(国中)、谷村藩(郡内)が成立します。

「郡内」は東部地域を指す呼び方で、現在の都留市、大月市、上野原市、富士吉田市、
富士河口湖町、山中湖村、西桂町、鳴沢村、忍野村、丹波山村、小菅村、道志村を指します。

「国中」は甲府盆地を中心とする地域を指す呼び方で、現在の甲府市、山梨市、笛吹市、
甲州市、甲斐市、韮崎市、北杜市、南アルプス市、中央市、中巨摩郡昭和町、西八代郡市川三郷町、
南巨摩郡南部町、南巨摩郡身延町、南巨摩郡早川町、南巨摩郡富士川町です。
現在もこうした呼び方は使われており、山梨の人々の生活に定着しています。

都留じゃないのに、南都留郡・北都留郡と住所に書くのは、なぜ??

現代でも西桂町や富士河口湖町などの住所には、
都留市ではないですが、南都留郡という住所表記がされるのは
不思議だと思ったことありませんか?

実は、その理由は、
前項で説明した郡内地域一帯を「都留郡」と呼んでいたことが
ルーツになります。

現代では、ちょっと不思議な感じもしますが、

1878年に郡区町村編制法によって、都留郡が
北都留郡と南都留郡に分けられ今に至っています。

その後1954年になると南都留郡の町村が合併したことで
都留市が生まれました。

都留市はかつて都留郡の政治・経済・文化の中心だった谷村藩が
あったことからその名が付けられました。

さて、「都留」という地名にはどんな意味があるのでしょうか?
その由来には諸説があり、地域に鶴が多く生息していたことや
富士山の裾野が植物のつるのように伸びているようであること、
古代朝鮮語で畑や平らな土地を「つる」と呼んだことなどの説が現在に伝えられています。

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