湧水と共に生きる
菊地わさび園4代目・菊地義廣さん
菊地わさび園
毎年秋に開催される「つる湧水の里ランフェス」。2024年は11月17日(日)に開催され、秋空の下約700人のランナーが都留の町中を駆け抜けました。
そこで、今回の優しさ探訪のテーマは【湧水】。湧水と共に生きる、菊地わさび園4代目の菊地義廣さんにお話を伺いました。
◆菊地わさび園◆
大正7年創業。都留の豊富な湧水を利用してわさびを生産。無農薬で手間暇かけて生産されたわさびは、都留市の特産品としてイベントなどで紹介されている。生わさびのほか、わさび漬(わさびの酒粕漬け)の製造・販売も行う。わさび田の見学や収穫体験も随時開催。
◆菊地義廣さん(59)◆
都留市夏狩にある菊地わさび園4代目。夏狩で生まれ育ち、大学卒業後、一度は家業に就くも、しばらくした後に埼玉県内の企業に就職。営業や経理などの仕事を経験。約3年前にUターンし、現在は3代目で弟の富美男さん(57)と共にわさびの生産や販売に奮闘している。
菊地わさび園4代目の菊地さん
わさびの生産と家業存続に奮闘する日々
夏狩の住宅街を抜けて細い砂利道を進むと、見えてくるのは手づくりの看板。駐車場に車を停めて、豊かな自然の中に伸びる道を下ると、あちらこちらから透き通った水が勢いよく湧き出していました。
湧き水の音を聞きながら歩くこと数分、菊地わさび園に到着!広さ約2100坪(=サッカーコート1面弱ほど)の敷地内には、段々畑や棚田のように、斜面にいくつものわさび田があり、上の田から下の田へと絶えず綺麗な水が流れていきます。
のり:水の流れる音が心地よくて爽やかな気分になりました。この湧き水が、わさびの栽培には非常に重要なんですよね?
菊地さん:そうですね。わさびの栽培には、3つの条件が揃って初めて栽培できるんです。綺麗な水、豊富な水、そして年間通して水温が一定であること。
駐車場から歩いてきて、水が左側の斜面からビシャビシャ湧き出ていましたよね。ここは平成の水百選にも選ばれた「十日市場・夏狩湧水群」の一部で、この水を使っています。
諸説ありますが、このあたりには、大昔の富士山の噴火で流れてきた溶岩でできた地層があって、富士山の七合目当たりの雪解け水や雨水が、古い溶岩と新しい溶岩の間を約40年の歳月をかけて流れてきます。水量は毎分約2万トンで、このあたり一帯の上水道を軽くまかなえるくらいの水量があります。水温は夏でも冬でも12℃くらいで、年間通して一定の水温を保っています。
のり:綺麗で、豊富で、一定の温度の湧き水。まさに、わさび栽培にピッタリな水なのですね。畑が棚田のようになっているのにも何か理由があるんですか?
菊地さん:産地によっていくつかの栽培方法がありますが、うちは静岡県の中伊豆地方で多く見られる「畳石式」というやり方で栽培しています。この石積みは、「野面積み」と言い、古い時代のお城の石垣と同じ積み方で、大小さまざまな大きさの石を職人さんの手で積み上げて作られています。わさび田の中は、上から順に、礫(れき・小さな石状のもの)・小石・中くらいの石・大きい石と、天然のフィルターのようになっています。それにより上から下のわさび田へ効率よく水を流しています。
わさびは、水からもたくさんの栄養を取るので、綺麗な水をずっと流しっぱなしにしておく必要があります。田んぼのように、水を張った状態でつくる稲作とは違ったつくり方です。
ちなみに、わさびは菜の花と同じアブラナ科なので、春になると、菜の花に似た白いお花を咲かせるんですよ。青い若葉と白い可憐な花。とても綺麗です。
のり:春に青い若葉と白い可憐な花が咲いているところ、見てみたいです!ところで、わさびはいつがシーズンなのですか?
菊地さん:収穫は1年中していますが、これからの11月下旬に向けて寒くなるシーズンが、わさびの薫りも高く、おいしくいただけます。
わさびは、春と秋に特に成長が著しくなります。冬は寒さ、夏は暑さで成長が止まります。特にわさびは暑さに弱いので、寒冷紗(かんれいしゃ)というシートで覆って、水温が上がらないようにしたり、強い日差しに当たりすぎないようにしているのです。
わさびの苗を植えて、1年半から2年くらいかけて大きくなったわさびを収穫していきます。1本の苗から成長していきますが、大きくなるとともに葉が生い茂って、その中には「親わさび」が1本できます。水の中のその根茎が、皆さんがイメージする生わさびですね。親わさびの周りの”子どもわさび”は次の苗になるんです。
のり:それをまた植えるのですね。ということは、苗を植えて、日々のお手入れをして、収穫して、加工や梱包をして・・・という作業を、同時進行で年中ずっと繰り返していくことになりますよね。さらにこの広さ(約2100坪)ですから、大変ではないですか?
菊地さん:そうですね。一人ではとても回らないです。弟と二人でなんとか。それでも手が回らなくて、わさび田全体の稼働は十分とは言えない状態です。・・・まだまだこれからですね。
のり:これから?
菊地さん:はい。実は、僕自身は、わさび農家を始めて、まだ2年半ほどしか経っていないんですよ。それまでは埼玉県内の企業に務めていて、営業や経理の仕事をしていました。3年くらい前に帰ってきて、家業に入って、最初の頃に植えたわさびが今やっと収穫を迎えたくらい。「やっとここまで」という気持ちが2割で、「まだまだこれから」が8割だと思っています。
営業・経理を学んだサラリーマン時代
親子喧嘩で家を飛び出した先に得られたもの
のり:差支えがなければ、詳しく教えてください。家業を継ぐのではなく、別の会社へ働きに行かれていたのですか?いわゆる”社会勉強”のような?
菊地さん:いいえ。三十数年前、ちょうど平成元年に、親と喧嘩して「こんな家出て行く!」って飛び出したんですよ(笑)
大学を卒業して、一度は家業に就いたのですが、よその厳しい世界を知らないまま入ってしまって、僕自身未熟だったと振り返ると、そう感じています。
家を飛び出して、最初は車の営業を。そのあとは和食レストランで、経理を担当。その後は企業内食堂の運営会社で経理をはじめ様々な業務をしていました。全部同じ企業グループ内で、本当に色々な経験ができました。
のり:何がきっかけで、都留に戻ってこられたのですか?
菊地さん:なんかよく分からないのですけど(笑)、心に引っかかるものが。なんとなくこのままでいいのかなという思いもありました。
それでやはり、大正7年から100年以上にわたり、祖父の代から続けてきたこのわさび田の仕事に携わりたいなあと。わさびって、さっきも言ったように、どの場所でもできるようなものではないと言いました。条件が揃わないと、やろうと思ってもできないんですよね。
それから、わさびの新規栽培は、これからはもっとやりづらいみたいで。この間、伊豆のわさび農家さんに聞いたのですが、この、畳石式のわさび田を作る職人さんがもういないんですって。時代が変わっちゃって。修復も結構大変な状態なので、今あるわさび田をどうにかこうにか使っていくという形なのだそうです。
そういったことも色々含めて、この都留市夏狩の貴重なわさびの栽培ができる環境であるこの場所を活かしたい、そして続けていきたいという気持ちがありますね。それに、湧き水って、なんとなく良いじゃないですか。都留市内は色々なところでこの富士山の湧き水が出ていますし、これを「都留=湧き水の町」として日本中の方に知ってもらえたら、もっと売り出していけたらと思うんですよね。
のり:外に出たからこそ、感じることがあったのですね。
菊地さん:そうですね。営業や経理の仕事は、それぞれとても勉強になりました。営業は、売る、売り上げを作るっていう一番大事なところですし、経理も、どう売り上げを作って、どう仕入れて、どう利益を出していくかっていうのが一番見えるところ。会社の大切な部分です。
経理といっても、現場に行くことも多かったです。和食チェーンでは、どの店でも同じ味、同じサービスが求められていましたが、企業内食堂では正反対で、肉体労働の企業では濃い目の味付けが好まれるのに対して、オフィスワークや女性社員が多い企業ではそんなに量はいらないよ、とか。もっと言うと、「あの人はいつも大盛り」「あの人は出来立てホカホカ」「あの人はスピード重視」など、より細かくお客さんに合わせることが大事で。one to oneマーケティングと言いますか。貴重な経験でした。
でも、経理としては、経費・利益・より安く・より美味しく・たくさんのお客様満足など、様々なことを考えながら日々の仕事をする。そういったところが多岐にわたって勉強になったので、それが今、そしてこれからに活かすことができたらいいなと思っています。
どこにでも”ない” 環境と経験を活かして
自分・家・都留・山梨のためにできること
のり:「これから」についても教えてください。何か考えていらっしゃることはありますか?
菊地さん:まずは、栽培と販売体制をしっかり整えたいですね。弟や父、祖父の代から大切に続けてきたことを守り尊重しつつ、作業効率を上げて収穫量を増やしたり、売り上げを増やしていく。
そして、今は主に都留と周辺の道の駅で販売していますが、新たな販路を見つけること。今、僕が考えているのは足元である山梨のお客様にわさびをお届けする、つまり「地産地消」です。山梨県内で買っていただき評価をいただけるということ。隣の静岡には伊豆エリア、長野には安曇野エリアという二大わさび産地があって、国内のわさびのシェアの大部分を占めているので、そこに挟まれてどう戦っていくか。
例えば、県内、例に挙げれば富士五湖周辺のリゾートホテルなどで、「地元産の野菜」として、料理に使っていただけるところがあると思うんですよね。
また、収穫体験もやっているのですが、最近では外国のツーリストの方も来ていただいて、このあいだはマレーシアのお客様が来園くださったり、その前はイスラエルのお客様が収穫体験にいらっしゃいました。そういったお客様と接していると、こんにち、日本にいらっしゃる外国のツーリストのお客様は、寿司や天ぷらといった王道には飽き足らず、より日本ならではのものを求めていると思うんです。どんどんマニアックになっていくニーズに、お応えできるようにしていきたいですよね。
のり:菊地さんのご経験が存分に活かされそうですし、すごく可能性を感じました。
菊地さん:そうしていきたいですね。そして、都留を「湧水の町」として、もっと売り出していくことの一助となりたいですよね。
今、僕の言った内容は個人的妄想かもしれないですが、それ以上に自分にとっても楽しくてワクワクする話だし、菊地家、三十数年前に飛び出した自分への返答、自分の先祖に伝えたいこと。それから、僕が頑張れば頑張るほど、都留市そして山梨県のためになるのではないかと大きな風呂敷を広げています。だから、とてもやりがいがあるし、責任のある仕事ではないかと僕は思って、日々邁進していきます。
<取材後記>
お話を伺って感じたのが、菊地さんは向上心の塊で、その原動力は好奇心なのでは?と感じました。プライベートでは旅行がお好きで、訪れた先々でも知りたい!体験したい!おいしいもの食べたい!と、スマートフォンを片手にそれぞれの地元のマニアックな情報を集めて、足を運んでいるそうです。
また、菊地さんによりますと、わさびは捨てるところがなく、根、茎、葉、さらに花まで!まさに全てを食べることができるとのこと。取材中には、試食で葉っぱを食べさせていただきました。すりおろした生わさびのように、食べてすぐにツンとくるという感じではなく、あとからピリッと辛さとほのかな香りが届き、おひたしに合いそう!と話す取材スタッフもいました。
さらに、わさび田にも入らせていただいたのですが、水の流れる音は本当に心地良く、水面がキラッと光って、透明感に驚きました。
紆余曲折を経て、湧水と共に生きると決めた菊地さん。都留市が「湧水の町」として、ひとつの歩むべき道筋が見えたような気がします。