城下町発掘ニュース特集 ②

都留が生んだ「水のマスダ」―世界で活躍した画家・増田誠と故郷の物語

Written byかずっち
増田誠《キャナル・サンマルタン》。運河沿いの建物や樹木が水面に映る風景

◆ 増田 誠 ◆

フランス・パリを拠点に長年創作活動を続け、国際的に高い評価を受けた画家・増田誠。

水面の描写に優れ、「水のマスダ」と称された画家です。

そんな増田誠が生まれ育ったのが、現在の山梨県都留市下谷であることをご存じでしょうか。

37歳で単身フランスへ渡り、サロン・ドートンヌをはじめとするフランスの美術界で活躍。一方、晩年には富士山や桂川、三つ峠など、故郷・山梨の風景も数多く描きました。

2026年9月19日から、ミュージアム都留では企画展「増田誠の墨彩画―されとも楽し道草の味―」が開催されています。

世界へ渡った増田誠は、どのような人物で、どのように画家への道を歩んだのでしょうか。

その生涯と作品をたどると、世界で活躍した一人の画家と、ふるさと都留との長いつながりが見えてきます。

1|「床屋のマコちゃん」が画家を志すまで

1920(大正9)年、現在の都留市下谷に生まれた増田。実家は理髪店で、子どもの頃は近所から「床屋のマコちゃん」と呼ばれていました。

いたずら好きな少年だった一方、幼い頃から絵を描くことが大好きだったといいます。

学校の黒板にいたずら書きをしても、その絵のうまさを褒められた―そんなエピソードからも、少年時代から絵が身近な存在だったことがうかがえます。

そんな増田が、旧制都留中学校(現在の山梨県立都留高等学校)時代に出会ったのが、美術教師・中島由多禾先生です。
中島先生が赴任すると、学校では絵の好きな生徒たちが集まり、展覧会を開いたり、学校外の展覧会へ作品を出したりするようになりました。

増田もその中で熱心に絵を描き、中島先生から指導を受けます。

後に増田は、この出会いによって「絵画の世界への目を開かれた」と振り返っています。

美術学校へ進んだわけではなく、その後の画業の多くを自ら切り開いていった増田にとって、中島先生との出会いは大きな転機でした。

2|絵を描くことを、生涯の仕事に

中島先生との出会いによって、絵の世界に目を開かれた増田でしたが、すぐに画家への道を歩み始めたわけではありません。

時代は戦争へと向かい、1941(昭和16)年、増田も徴兵されました。戦時中には北海道の釧路に駐屯し、軍隊にいる間も人目を盗んではスケッチしていたといいます。

その後、鹿児島で終戦を迎えた増田は、北海道の清水町へ渡り、農業で生計を立てながら絵を描き続けました。

そして4年後、得意な絵を活かそうと釧路へ移り、看板屋を立ち上げます。
看板を描いて暮らしを支えながら、自分の作品にも取り組んでいました。

好きな絵だけで生きていくことが簡単ではなかった時代。それでも、増田の中から「画家になりたい」という思いが消えることはありませんでした。

後に増田は、この頃の思いをこう振り返っています。

「自分に最後に残されたものは、絵しかないと自覚して、終生のライフワークにしよう、これでいこうと思った」

ー絵を描くことを、自分の生涯の仕事にする。

そんな頃、増田が出会ったのが、釧路を訪れていた画家・上野山清貢(うえのやまきよつぐ)です。

上野山の勧めで一線美術会の展覧会へ作品を出品すると、増田の作品は評価を受け、画家として活動する場が少しずつ広がっていきました。

そして上野山との出会いは、やがて増田を日本の外へと向かわせることになります。

3|37歳、画家として世界へ

画家として活動の場を広げる一方で、増田の中には「もっと広い舞台に出てみたい」という思いがありました。

そんな中、上野山から「世界一周旅行に行かないか」と誘われますが、上野山の病気によって計画は実現しませんでした。それでも、増田の気持ちはすでに海外へと向かい、一人でパリへ渡ることを決意します。

1956(昭和31)年、看板屋を売却し渡仏への準備を始めますが、パスポートの発行を待つ間に、用意していた渡航資金は底をつきました。

そこで増田は、絵を描いては友人や知人に売り、渡航資金を集めます。故郷の都留市や富士吉田市でも小品展を開きました。旧制都留中学校時代の同級生たちは「増田誠後援会」を立ち上げ、中には増田をスクーターの後ろに乗せ、一緒に絵を売り歩いてくれた友人もいたといいます。

釧路からも多くの支援を受け、1957(昭和32)年7月28日、37歳の増田は単身パリへ渡ります。


当初は1年ほどで帰国するつもりだったこの旅が、その後のパリでの画家人生の始まりとなりました。

4|パリで愛された「野武士」

パリでの増田は、豪放で素朴、野性味たっぷりで「野武士」と呼ばれていました。

一方で、無類の世話好きでもあり、パリへやって来る若い作家たちの面倒をよく見ていたことから、「巴里の村長さん」とも呼ばれていました。

そんな増田は、自分の苦労を人に語ることはありませんでした。

「苦労話と自慢話は自分の口から言えるものじゃない」

豪快で、世話好きで、ユーモアがあり、自分の苦労をひけらかさない。そんな増田が、絵を描くうえで大切にしていたのが「楽しむこと」でした。

「絵を描くのも楽しくなければいけないんだ、私は楽しく描いていますよ」

絵に向き合う増田の姿が、その言葉からも伝わってきます。

「野武士」と「巴里の村長さん」という二つのあだ名には、そんな増田誠の人柄が表れているのかもしれません。

5|「水のマスダ」が見つめていたもの

パリで画家として活動するようになった増田は、水面の描写の巧みさから「水のマスダ」と呼ばれるようになります。その名を広めたのは、フランス人画商のモランタン・ヌービョンでした。

モランタンは海や港の絵を好み、増田もそれに応えてブルターニュやノルマンディーの港、セーヌ川やサンマルタン運河など、数多くの水辺を描きました。

水面の揺らぎや光、そこに映り込む建物の影。その一瞬の表情をとらえた描写は高く評価されました。

※増田誠《パリ》

けれど、増田が見つめていたのは、美しい水や風景だけではありませんでした。

「人がいて生活のにおいがある。その中のさりげない動作の中に面白さがある」

人物の何気ない仕草や表情、建物に残る汚れなど、増田が惹かれたのは、そこに暮らす人々の生活が感じられる風景でした。

※増田誠《市の立つ朝》

さらに、水面には筆の擦れや絵の具を垂らす技法を使い、壁には新聞や雑誌、切手を貼り重ね、パリの街は幾重にも絵の具を塗り重ねて描くなど、さまざまな表現を取り入れました。

「水のマスダ」と呼ばれた画家。その作品には、水の表情だけでなく、そこに生きる人や街の空気まで描き込まれています。

6|新たな表現と、故郷の風景

長くフランスを拠点に活動してきた増田は、60歳を過ぎて、新たに墨彩画にも取り組むようになります。

1984(昭和59)年、日本で胃の手術を受けた後、体力が十分に戻らず何度も絵の具を塗り重ねる油彩画を描くことが難しくなったためでした。

もともと得意としていた軽やかで生き生きとした人物表現は、墨と筆によって、さらにのびのびと描かれていきました。

※増田誠《道草の味》

その後、増田は都留市をはじめ、富士吉田市や富士河口湖町など故郷・山梨の風景も描くようになります。

その中には富士山を描いた作品もありますが、増田はもともと富士山を積極的に描こうとはしていませんでした。完成された美しさを持つ富士山は、自分自身の個性を出しにくいと考えていたためです。

そんな増田が富士山を描くようになったのは、地元からの依頼がきっかけでした。こうして富士山もまた、増田が描いた故郷・山梨の風景の一つとなりました。

※増田誠《城山よりの富士(B)》

そして現在、ミュージアム都留では、増田が60歳を過ぎてから取り組んだ墨彩画に焦点を当てた企画展「増田誠の墨彩画―されとも楽し道草の味―」が開催されています。

中でも注目したいのが、全長約8メートルにわたって自身の前半生を描いた「増田誠の自分史―前半生落書帳―」。普段は一部のみの展示となることも多いこの作品を、今回は全体を見ることができます。


企画展「増田誠の墨彩画―されとも楽し道草の味―」

会期: 2026年9月19日(土)~11月29日(日)
会場: ミュージアム都留
開館時間: 9:00~16:30(最終入館16:00)
休館日:毎週月曜日(祝日の場合は開館)・毎月第3火曜日
入館料: 無料

7|故郷に受け継がれる増田誠

世界を舞台に活躍するようになってからも、増田と故郷・都留とのつながりが途切れることはありませんでした。

初めてフランスへ渡るとき、資金集めに力を貸してくれた旧制都留中学校時代の友人たちとの交流はその後も続いたといいます。

増田は、人とのつながりについて、こんな言葉を残しています。

「人生は一人で生きるわけではない。人との出会いは大切にしなければならないと思います」

そして、都留市の文化振興に役立てたいという思いから、多くの作品を都留市へ寄贈しました。現在、その作品はミュージアム都留に収蔵されています。

都留で生まれ、絵の世界に出会い、世界へ旅立つときには多くの人に支えられた増田。そして晩年には故郷の風景を描き、自らの作品を都留へ残しました。

※増田誠《大野》

世界を舞台に活躍した、都留生まれの画家・増田誠。
この秋、作品を通して、その人生とふるさととのつながりに触れてみてはいかがでしょうか。

画像提供:ミュージアム都留

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